20代の頃、月100時間の残業が普通の生活をしていました。
会社に泊まることも頻繁にあり、正直残業と始業の境目もあやふやでした。
時間外の労働時間を全て計算すると、月100時間どころではなかったと思います。
職業はグラフィックデザイナー。勤めた会社は4社。
全ての会社で、徹夜、休日出勤、タクシー通勤などを経験しました。
今、月の残業が100時間を超えるような働き方をしている人に伝えたいのは、
あなたが辛いなら、早く仕事を辞めてください
ということです。
なぜなら、無自覚でも、知らないうちに心と身体が痛めつけられているからです。
あの頃のことを振り返りながら、失ったものと得たものについて考えてみようと思います。
目次から見たい項目へ飛ぶ
残業月100時間が普通だった時期を振り返る
会社別に振り返ってみようと思います。
1社目:新卒でも初日から普通に残業
学生時代からインターンシップで通っていた会社に採用され、就職。
家族経営の小さな制作会社だった。
同じくインターンシップから採用された友人、別の学校の学生1人。そして私。
全5人の社員のうち、3人が新入社員という状況。この時点でだいぶヤバめの会社だということが分かる。
初めての会社だったが、デザイン職は残業が多いことは知っていた。
【関連記事】【現実】グラフィックデザイナーの残業事情【リアルな現場を語る】
休日出勤もあり、平日の帰宅時間も遅かったが、なんとか出社していた。
仕事以外の休日出勤は勘弁してくれ
社長は怒りっぽく、小さなことで激昂する人だったので、とても嫌だった。
でも、初めての会社だしもう少し頑張ってみようと思っていた時、
「今度の土日はクルーザーに張り付いたカキを取るから出社してくれる?」
と言われた。
????????????
仕事での残業や休日出勤は理解できた私も、社長のプライベートな持ち物であるクルーザーの掃除で休日出勤することには納得できなかった。

私と友人は会社を辞めた。
後日学校に「青天の霹靂だ!」と社長から怒りの電話がかかってきたそうだ。
★自転車で出勤中、タクシーの不注意で接触事故がおき、転倒。しかし会社に遅刻しそうだったため、立ち去る。(睡眠不足で判断能力が低下していた)
★チーフデザイナーがクライアントから褒められていたある広告。後日資料を眺めていると、チーフデザイナーが作った広告とほぼ同じデザインの広告を発見した。アカーン!……そっとページを閉じた。
2社目:残業100時間どころか家に帰れないのが普通!
1社目の会社を辞めた直後、学校の講師だった先生の会社に就職。
アートディレクターやライターなどもいる正統派のデザイン事務所で、多くのことを学ばせてもらった。
初めての出社の日
ドキドキしながら会社のドアを開けると、真っ暗。
スキャナーの横にぐでん、と横たわる大きな人影があった。
誰もいなかったので、その人に話しかけるより他なく、思い切って話しかけた。

のそりと起き上がった男性は、まるで覇気がなく、目が虚ろだった。
ふらふら揺れながら、
「あ、あ〜〜、こっちです、こっちの机……」と案内してくれた。
大丈夫かこの人、というのが第一印象だった。
(※後の旦那である!!!!!!)
後日この日のことを聞くと、2徹してたので意識が朦朧としていたらしい。
徹夜の日々
この会社では最高3徹くらいしたと思う。
もはや仕事どころか起きているだけで精一杯。泣きながら仕事をしたこともある。
いつもトイレでうたた寝したし、それでも取れない眠気は、タバコを吸ってごまかした。
女性トイレの洗面台の下には、シャンプーやドライヤーが置いてあった。
徹夜した時に、洗面台で髪の毛を洗うためである。
ずっと仕事してるのにお金がない
毎日毎日、必死で手を動かした。
信じられないかもしれないが、この会社での手取り額は「11万円」だった。
デザイン業界では上司と部下が「師弟関係」になりがちなので、これは「仕事」ではなく「デザインの修行」なのではないか?と思った。
当時私が住んでいた家の家賃が「4万8千円」。光熱費や食費も引けば、ほとんどお金は残らない。
バイトの方が稼げる、というのが若手社員たちの口癖だった。
母校の先生(であり上司)は社員でありながらも、何というか社内でも別枠の存在で、神のような感じだったので、相談できなかった。

2年ほどが経過し、さすがに給料面が我慢ならなくなった私は会社との面談で言った。
「手取りで15万にしてもらえないなら、会社辞めます」
15万でも笑えるくらい低いが、私は真剣だった。
契約更新の日。
社長は何やら嬉しそうな顔で私に書類を渡した。そこには大幅にアップされた給与額が記載されていた。
私は嬉しかった。会社がまだまだひよっこの私の言葉を受け入れ、評価してくれた。これまでの頑張りが認められたのだと思った。

私は社長に感謝を伝えた。
社長も嬉しそうだった。

計算すると、手取り額15万には若干届いていなかった。どんなに評価してもらったとしても、一度出した条件は譲れない。
私は会社を辞めることにした。
★コンタクトレンズの長時間使用で目が見えなくなる。
★明け方4時頃歩いて家に帰っていたら、変な男に声をかけられた。
札束をコートのポケットに無理やり入れられ、車に押し込まれそうになるが、通りかかったタクシーに助けを求め、飛び乗って回避。札束は投げ捨てた。(ちょっと後悔)
そのまま会社に戻り現旦那に助けを求めた(まだ会社にいる……)
3社目:残業100時間が普通になっていることに気づく
今度こそお金を!
そう考えた私は給与面を重視して転職活動を開始した。
運よく1社目で採用され、またデザイン制作会社で働くことになった。
仕事内容も充実しており、多くの仲間に恵まれた。給料も大幅に上がり、ボーナスも沢山もらえた。
壮絶な社内いじめ
しかし、夫婦経営で社長の奥さん(取締役)のヒステリーがひどく、
社内でターゲットにされた人間はボッコボコにいじめられていた。
私はターゲットでは無かったが、だんだん人が罵倒されているのを聞くことが辛くなってきた。
まあ、パワハラですよね。

相変わらず残業、徹夜、休日出勤は当たり前。タクシーで帰って寝て、朝もギリギリまで寝て、タクシーで出社。
往復で4千円くらいかかるのに、毎日のようにタクシー通勤していた。
そうしないと出社できないくらい疲れ果てていた。
- 給料が上がっても、タクシーと飲み代に消える日々。
- 自分が何のために働いているのかも、よく分からない。
頭も痛いし、もう眠気すら感じない。でもなんか鬱憤が溜まっているから、深夜に同僚と飲む。
そんな生活を続けていた。
自分の残業時間が100時間超えていることを知る
この会社では毎月勤務時間を記入して提出する義務があったのだが、
毎月残業が100時間を超えるのが普通になっていた。
3年ほど経ち、もう限界だと思い始めた頃。
頻繁に金縛りにあうようになった。夜疲れ果ててお風呂に入る元気が無かったので、朝起きてシャワーを浴びていたのだが、毎朝謎の鼻血が出る。

と感じて退職を決意した。
★あまりに辛すぎて、架空の親戚を一人殺して会社を休んだ。(ごめんなさい)
★徹夜で友人と旅行。新幹線にもギリギリ飛び乗る。USJのアトラクションで気分悪くなる。
★もう何もかも面倒だったので、結婚すると言って退職した。(ボロボロ)
4社目:私は残業と徹夜が普通の日々から逃れられない
結婚式を半年後に控えたある日。詳細は省くが、旦那の会社が無くなることになった。
無職生活を楽しんでいたが、私が稼がなければ!とスイッチが入り、また働くことにした。
過去の激務の日々を繰り返したくなかった私は、クリエイター専門の派遣会社に登録し、あるデザイン会社で働くことになった。
面接に行った時ブラックな匂いを感じたが、収入が無くなるのが怖かったこともあり、契約することにした。
今度は派遣会社も間に入ってくれるし大丈夫だろうと思った。
が、
徹夜徹夜休日出勤の嵐だった。泣いた。
自分のバカさ加減に呆れた。何度同じことを繰り返すのか。
派遣会社にも相談したが、無意味だった。
横で注射を打つ上司
上司はとても有能なディレクターで人間的にも好きだったが、徹夜や休日出勤に一切疑問を持っていない人だった。
前社で身体を壊したらしく、私の隣で注射を打ちながら仕事をしていた。
散々引き止められ、時短勤務でもいいから残れと言われたが、辞めた。
★入ってから、現担当者が辞めることを知らされ、いきなり引き継ぎが始まった。
★朝から会社行きたくないとベッドで泣いた。
残業月100時間生活で得たものと失ったもの

私が残業100時間生活で得たもの
仲間、結婚相手、技術、忍耐力。
大切な時間を投資した分、得たものもたくさんあります。
辛い時を一緒に乗り越えた仲間
朝から深夜、もしくは朝まで、長い時間を一緒に過ごした同僚。
今でも連絡を取り合っています。
そして、夫と出会えたことは本当によかったです。
デザイナーとしての技術
スキルアップしました。

グラフィックデザインの仕事が好き。それだけで続けてこれたようなものです。
当時は大変でしたが、様々なことを教えてくれた上司と会社には感謝しています。
歯を食いしばって耐え抜くこと
泣きながら仕事してました。忍耐力はついたと思います。
私が残業月100時間生活で失ったもの
がんばりすぎたなーと反省しています。
健康
- 長時間のPC作業の影響か、すぐに目が疲れる。
- 身体が緊張しやすい状態で、リラックスするのが下手。
- 寝つきが悪い。
なかなか以前の調子を取り戻せずにいます。
【関連記事】残業80時間が普通だったころにおきた心身の不調まとめ【無理はやめた方がいい】
遊びの時間
結婚し、子どもを産むと自分の時間を作るのが大変です。
独身の頃、仕事にまみれた生活をしていなければ、もっと有意義な時間を過ごせたはずです。

もうあの頃の時間は取り戻せません。
友人と会っても、常に体調不良で心から楽しめなかったことも悔やまれます。
残業が普通の生き方を改める
派遣での仕事を辞めた後、私はデザインとは関係のないテレアポの仕事に就き、夢の定時退社生活を送りました。

これからは、自分の好きな時間だけ働き、無理をせず、家族とゆっくり過ごしていきたいと思っています。
今、月に100時間が普通の生活を送っている人には、ぜひ働き方をもう一度考えてほしいと思います。
